掘り起こす
2017.3.24
金曜日。
前日の必然的な深夜徘徊の余韻が残る正午過ぎに仕事の早く終わったという友達から催促が来て家を出る。昨晩近所でファンシーな小屋を見たせいか、久しぶりに行く気になっていたので彼も誘って行ってみることに。スコップとレーキと飲み物を片手に午後遅めの突入。
二×三程を耕す。粘土質で単粒構造というか、硬い粘土が固まりになってボコボコしていて、作物が育たそうにもないが夕暮れとともにこの日は撤退。初めて、手を加えた。少しだけ風景が変わった気がした。道具は置きっ放しの倉庫へイントゥ。
いざ、行けず
2017.3.7
火曜日。
下見をしてから半月が過ぎ、何かせねばと利用図を描き出してみる。絵は苦手だのにこういう作業がひときわ楽しいのは何故だろう。
御住職にまで送りつけ、今晩は泊まると意気込む。大切な人生の先輩に晩酌と夕食まで奢ってもらい、いざバスケットに準備物を詰め込み、毛布を小脇に抱えたところで、時計を見たら0時前の大船。いろいろと心配をしてもらい、結論、準備に手間取り終電を乗り過ごし行けませんということにする。あゝナントも情けない。遠隔地から山ノ内にいるであろう深夜の怪異的存在を感知したとでもいうのか。怖気付いた、それだけの話。
権兵衛踏切その先に
2017.2.15
水曜日。
円覚寺側にて御夫妻と午後二時過ぎに待ち合わせて踏切りを渡り北鎌倉の駅舎をぐるっと回るように、細いホーム裏の淡水魚水族館(私営)を通り過ぎてまた渡り、線路沿いを行き、権兵衛踏切を通り過ぎたところで住宅街へと、おもむろに入っていくとそこには、工事現場作業用の荷台用線路のある笹に覆われた階段通路が出現する。鍵がかかった扉を開けてカーブを曲がり、依然として鬱蒼とした雰囲気の緑を潜るとどうやらその全貌が明らかになる。
百七十坪とその数値の印象で膨らんでいた期待などどこへやら、それどころではない奇なる現実の風景が露わになった。まず、左手には話には聞いていた焼け落ちた一軒の廃墟の残骸。玄関らしき建造物と表札は残っていて、住所も書いてある。右手にはそこも恐らく家があったのだろう、しかし廃墟に比べれば見る影もなし。手前の斜面はほとんど大量の竹に覆われて、正面奥はさらに斜面。その上や奥には民家があった。右手の家の跡の奥には煉瓦造りの遺跡のような段地。
段地には回り込んで登ってみる。そこからの風景は子供の頃遊んでいた羽根木公園を思い出させた。何かが起こりそうな予感と実際に一人では到底手に負えない無力感がない交ぜになる。それでもどうにか手探りでやってみよう。取り敢えず、そう思った。廃墟の奥の山道を抜けるとそこは、その地域の氏神様の祀られた神社だった。犇めく竹の隙間からは横須賀線の線路が見えて、走る音も聞こえる。帰る頃、丁度段地のあたりには西日が差していた。