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山ノ内ヘ

北鎌倉に縁の土地は現代に残る未開の跡地、都会子畑我流的備忘録。

権兵衛踏切その先に

2017.2.15

水曜日。

円覚寺側にて御夫妻と午後二時過ぎに待ち合わせて踏切りを渡り北鎌倉の駅舎をぐるっと回るように、細いホーム裏の淡水魚水族館(私営)を通り過ぎてまた渡り、線路沿いを行き、権兵衛踏切を通り過ぎたところで住宅街へと、おもむろに入っていくとそこには、工事現場作業用の荷台用線路のある笹に覆われた階段通路が出現する。鍵がかかった扉を開けてカーブを曲がり、依然として鬱蒼とした雰囲気の緑を潜るとどうやらその全貌が明らかになる。

百七十坪とその数値の印象で膨らんでいた期待などどこへやら、それどころではない奇なる現実の風景が露わになった。まず、左手には話には聞いていた焼け落ちた一軒の廃墟の残骸。玄関らしき建造物と表札は残っていて、住所も書いてある。右手にはそこも恐らく家があったのだろう、しかし廃墟に比べれば見る影もなし。手前の斜面はほとんど大量の竹に覆われて、正面奥はさらに斜面。その上や奥には民家があった。右手の家の跡の奥には煉瓦造りの遺跡のような段地。f:id:kzbeethoven:20170408045222j:plain

段地には回り込んで登ってみる。そこからの風景は子供の頃遊んでいた羽根木公園を思い出させた。何かが起こりそうな予感と実際に一人では到底手に負えない無力感がない交ぜになる。それでもどうにか手探りでやってみよう。取り敢えず、そう思った。廃墟の奥の山道を抜けるとそこは、その地域の氏神様の祀られた神社だった。犇めく竹の隙間からは横須賀線の線路が見えて、走る音も聞こえる。帰る頃、丁度段地のあたりには西日が差していた。